あなたに幸せを運ぶ天使ハニエル

元Yahoo!ブロガーです。

第二十七話「地方出の同級生たち」

受験らしい受験も経ず、私はそのまま大学に進学した。
教師がマイクで講義をする姿や、担任がいないことに多少の違和感はあったものの、
いつも行動を共にするメンバーが同じであった為、私はそんな環境にもすぐに慣れた。

講義の内容は面白いものと、ただ眠いだけのものに極端に別れた。
ただ、レポートや定期試験など、論述式のものを課せられる機会が増え
高校時代までとは、違う能力を要求されているのだけはわかった。

父が話していた、アメリカの大学とは比較にはならないだろうが、やはり美しさだけで
済むような世界ではなかった。自分で作成したレジュメを配布して、人前で発表する、
そして質問にも答える・・・中には下手に質問できないような素晴らしい発表者もいて、
そんな時は必ず教員が目を見開いているのがはっきりとわかるのだった。

友人たちは早速弱音を吐いていたが、私はやっと父の住む世界にきたと感じていた。
高校までは、教師が型どおりの話しかしていないように思った。
大学教員は、好きな事を言い、概してエネルギッシュだった。
ただ、試験で教員の意見と反対の事を書くと、点が辛くなるのはわかりきって
いたので、私は答案用紙にお世辞を書いているような気がしないでもなかった。

そんなわけで、大学生活が始まっても、特に何かが変わる気配はなかった。
ただ、虚ろだった私の気分を唯一惹きつけたものは、外部の学生が入学してきた
ことだった。彼女たちは、この大学に入りたいと願って受験勉強をし、
中には地方から出てきてわざわざ一人暮らしをしている子もいた。

私も私の周囲の友人も、大学4年になるまで、一度もアルバイトをした事がないような
人間ばかりだった。それなのに、彼女たちはもう早速、アルバイトと勉強を掛け持ち
しているようだった。私にとって、彼女たちはとても興味深い存在だった。

ただ、私の周囲の友人たちは、やたらに、地方出の同級生を嫌った。
口では「おしゃれのセンスがない」だの「何だか粗野で大学のイメージが悪くなる」だのと
言っていたが、結局のところ「下から私立の自分たちと一緒にされたくない」という、
プライドの表れだったのだろう。

私は彼女たちに野暮ったいという印象は持たなかった。
もはや外見などは情報が溢れていて、それだけで区別できるとも思えなかった。
そんな事よりも私は、たまたま二、三度、講義で隣り合わせただけの人間に向かって
「今度泊まりに来て」と誘ってくる彼女たちの人懐っこさに癒されるものを感じていた。

私はそれまで、友人の家でお茶をよばれた事はあっても、泊まった事はなかった。
大人がいない場所で泊まった事など、ある筈もなかった。
私はそんな気軽な誘いに「母親にまず話してみるね」と答えなければいけない自分の
境遇を惨めにさえ思った。

その頃私の門限は11時だった。特別厳しく言われたわけではない。
それ以上遅くなるような用事も特になかったし、不便に感じたこともなかった。
私は母に一人暮らしの友人の家に泊まりに行ってもいいか、と聞いた。

母は、特に嫌な顔はしなかった。
ただ「頻繁に泊まりに行くのはよくない」という事と、
「泊まりに行ってもいいが、11時以降はお友達の家で過ごしなさい」
という条件を出した。

私は少し窮屈な気分にさせられたが、母親が案外あっさりと外泊を認めた事を
嬉しく思った。

そして、母がまるで呪いでも掛けるように、
「いくら取り繕ってもダメ。夜、家に帰っていないような女は、どこかしら
はすっぱな雰囲気が漂う。毎日きちんと生活してさえいれば、それは物腰や言葉遣いの
端々に見事に現れるものよ・・・」
と言った事も、素直に頷く事ができるのだった。